コレクション紹介(5)
故小川賢之輔氏の文献等資料

横山 謙二


最終更新日:2007年9月20日



 静岡県学習資料保存事業室では現在、2004年(平成16年)2月10日に逝去された小川賢之輔先生の蔵書と研究資料を整理しております。小川先生の蔵書はおよそ700冊、その他研究資料が1000点にもおよびます。

 まだ整理の途中ですが、文献には日本貝類学会、日本地質学会、日本古生物学会、日本火山学会、日本地理学会、日本第四紀学会など多分野にわたる学会の学術雑誌があり、今では手に入れにくい古い文献や絶版になった貴重な専門書、自然科学系の普及図書などが多数あり、小川先生の執筆出版物も含まれています。また、小川先生の研究資料にはニューギニアの貝類の研究や富士山・愛鷹地域の地質調査のデータなどがあり、報告書や論文に使われた原図なども含まれています。こうした研究資料の中には、静岡県地質、特に富士・愛鷹地域に関する研究資料が多く、将来の地質学者にとっては貴重な資料になることは間違いないでしょう。この文献やよび研究資料は、まさに静岡県の地質に関する小川先生からの私たちへの遺産と感じて整理させていただいています。

 小川賢之輔先生は、1911年(明治44年)3月5日に静岡県富士郡鷹岡村天間に生まれ、1931年(昭和6年)静岡県静岡師範学校専攻科を卒業され、富士郡大淵村立尋常高等小学校訓導に奉職しました。その後、東京都へ出向され、東京市墨田第二小学校および向島木下川小学校に勤務され、同時に海軍ニューギニア学術探検隊地質調査員および東京科学博物館学芸官補を兼務されたそうです。

 戦後は郷里の静岡県に帰り,静岡県吉原町立今泉国民学校や吉原中学校に勤務され、1954年(昭和29年)に富士郡柚野村立柚野小学校の校長になられ、以後、吉原市立須津中学校、元吉原中学校、長泉町立長泉中学校、富士市立須津中学校の校長を歴任されました。定年されてからも愛鷹山麓地域の自然環境保全と土地利用計画調査員や富士市自然調査研究会会長などを務められるかたわら、野外での地質調査や後輩の指導を継続されておられました。また、文献や研究資料もきちんと整理されていて、資料がすぐにでも活用できる状態にあります。

 小川賢之輔先生の著作学術論文および出版物としては、代表的なものとして以下のものがあります。

愛鷹山(1962) 吉原市教育委員会
駿河湾北部に発達する田子浦砂丘の研究 (1965)地理学評論
富士山周辺地質岩石の研究(1965)静岡県出版文化会
富士火山三島溶岩流末端付近の溶岩塚群(1973)地質学雑誌
富士愛鷹山麓地域自然環境(1974)富士市
東海自然歩道の地学案内(1976)() 静岡県地学会
静岡の地学(1976)静岡県出版文化会
富士市の自然(1976)富士市
富士宮市の自然(1988)富士宮市

 この文献資料の受入には小川先生のご遺族と篠ヶ瀬卓二氏、斉藤朗三氏にご協力をいただきました。本文献資料については、NPO自然博ネットでお預かりして整理していますが、整理終了後に静岡県の自然学習資料として寄贈の手続きをとらせていただきます。なお、小川先生の略歴については篠ヶ瀬卓二氏に資料をいただきました。


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登録日:2007年9月20日


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