第7回総会記念講演要旨
自然史博物館建設のあゆみ
ー静岡の自然系博物館建設計画への提言に代えてー

発行:2000/06/01

岡崎 美彦
(北九州市立自然史博物館 主査・学芸員)


講演者の岡崎さんはじめに 北九州市立自然史博物館建設の経緯

 理科系の大学院で学ぶものにとって、博物館への就職の機会は多くない。というのは、日本にある自然史系の博物館学芸員のポストは、大学や他の学校の教官・教師の数に比べて圧倒的に少ないからである。しかし、20年ぐらい前からは私の学んだ古脊椎動物の分野では、育成される数が少ないためか、博物館、とくに地方博物館にポストを得た者が多い。私は1979年に北九州市自然史博物館開設準備室に職を得た。博物館が開館したのは1981年5月のことで、八幡駅の2階(展示室)・3階(事務室など)を使っての仮開館であった。2000年になってやっと新館の建設が始まり、2002年の11月に開館することが決まっている。

 JR鹿児島本線は、枝光駅から次の八幡駅の間を半円形を描く路線でつないでいた。半円の内側は新日鐵の工場であったが、近年の工場の配置計画の転換とともにさびれた工場跡地となっていた。この一部を利用してテーマパークであるスペースワールドが置かれていた。「東田整備計画」は、この半円形の部分を直線でつないで新駅を置き、同時に都市高速のランプウエイを建設して、「さびれた工場跡地」を「駅前の一等地」に変えるという手品のような錬金術である。この土地は1901年に日本で近代製鉄が発祥した場所であり、その高炉(東田第一高炉:通称1901)をモニュメントとして整備したことが、整備事業の最初の工事だった。2001年に近代製鉄の開始100年目にあたって、ここで博覧祭を開催することが決まり、同時にそのメイン会場としてのビルを自然史博物館としての設計で建築して、博覧祭終了後は本格的に博物館としての活動を始めようということが提案された。

 イベントの会場で使用した建物を後に博物館に転用するというのは好ましいことではない。準備や建設の期間が十分に取りにくいことや、転用に伴ういろいろな条件など障害になることが多い。しかし、北九州の場合には、最初に関係者の間で合意があり、「博物館の条件を十分に満たした建物を設計・建築し、博覧祭側はその結果としてできたものをどのように博覧祭に使用するかを考える。」という原則が提示された。さらに、博覧祭期間中にも収蔵庫など博覧祭が使用しないことにして将来の博物館の使用に障害とならないよう配慮していただいた。博物館側としても、2001年の開催時に確実に博物館の建物が完成するというメリットも生まれた。博覧祭期間中は、博物館のジオラマとなる部分を先行公開し、30万人以上の観覧者を集めて新博物館の宣伝としても役立てることができた。博覧祭終了後、旧館からの事務室などの移転をおえて、この4月から新館で開設準備に追われている。

博物館と学芸員

 地方公共団体の博物館は、博物館法によって規定されている。この法律はあまり細かいことが決められていないおおざっぱなものであり、もちろん違反したときの罰則などないようなものである。別の観点から言えば博物館に関して大きな法的な問題が起こったことが無いのであろうか。

 博物館が法的に博物館であることによって得るメリットはそんなに多くない。例えば「国または地方公共団体の補助を受けることができる。」というのも、「補助の受け皿になりうる。」という意味であって、決して「博物館であれば補助金が自動的に付与される。」という意味ではない。「国鉄を使って標本の輸送が(無料で)できる。」に至っては、空文化している。

 博物館が持つべき条件というのも、変更が起これば知事に届けねばならないが、これを丹念に実行している博物館がどれほどあるのか私は知らない。この条件の中に博物館に学芸員がいることの必要が含まれている。しかし、既に一人以上の資格のある学芸員のいるところでは、新規採用の人に資格があるかはそれほどの大きな差異とはならない。採用後に国家試験等で取得していただけばいいことになる。通常の博物館、とくに自然史系の博物館では、採用の際最も注目されるところはその人の専門分野や学芸員としての資質であろう。とくに学芸員としての資質は重要であり、これによってその博物館の将来が決定すると言ってよい。

博物館のコレクション

 近年博物館の機能や利用方法が多様化してきたと言われる。博物館の収蔵する標本の収集方法が変化し、またその標本がこれまでとは違った意味を持ち、来館者が展示を見るという利用方法以外に多くの方法で博物館を利用し始めた。これまで標本は寄贈や購入といった単純な方法で取得されてきたが、近年はコレクションとして寄贈し、収蔵後もその面倒を見ていくアマチュアが現れたり、大学で研究後捨てられそうな標本類を一括して収蔵したりといった、これまでの枠組みとは違った収集方法がたびたび起こってきた。来館者としても、従来の「来館者=観覧者」といった図式ではなく、標本の処理に係るボランティア活動の場として、また自然史に関する団体活動の拠点として、さらに展示解説ボランティアとして博物館に活躍の場などを求める方も多い。これらの変化は、博物館のスタッフや管理方法、建物の設計にさえ影響している。
 博物館の資料収集は標本ばかりではなく、図書も重要な役割を持っている。標本の資料的な価値を決めるのは、標本自身と、それに付随するデータであったりそれに対して加えられた研究であったりする。図書類の収集はこういった標本に加えられる情報のソースとして欠くことができない。

博物館の展示

 博物館の展示も、近年大きく変化してきた。一つの流れはロボットやコンピュータを使った「分かりやすく魅力的な」展示の進歩である。博物館の最も根源的な魅力は、標本それ自身にあると私は思っているので、「バーチャルな体験が魅力的である」という意見には異論がある。現在のような速い進歩がちょっと進めば、すぐに各家庭で「恐竜に襲われる体験」とか、「小さくなって人間の体内を探検する」とかいったことができるようになろう。博物館が高価な「リアルな作り物」で売り出してもすぐに飽きられてしまうのが現実である。

 もう一つの流れは来館者が標本に触ったり、ときには標本を並べ替えたりすることによって「参加意識をもつ」ことができるような展示であろう。こちらのほうは私も魅力を感じるが、標本の傷みを考えるとその運営は容易ではない。

 それでは、博物館の通常の展示を作製するのにはどれほどの費用がかかるのか考えてみよう。例えば、大きな標本の例として、体長12メートルほどのティラノサウルス骨格レプリカを展示するのには、1千万円を超える費用がかかる。1メートル当たり100万円ほど、幅を考えると1平方メートル当たり20〜30万円ほどであろうか。小さな標本では、三葉虫とかアンモナイトの標本が良好なものならちょうど数十万円程度であろうか。これを展示するのに要する面積は1平方メートルより狭いだろう。

 ようするに、化石を展示するのなら、標本の大小に係らずこの程度の標本購入費用がかかる、と考えてよい。もちろん、小さな標本をずらっとならべたのでは集客力がないので、博物館である程度の面積を展示しようとおもったら、恐竜など大きなものを並べるほうがずっと手っ取り早い。一方で、恐竜だけを並べた博物館では学校教育との連携や、多様なニーズに応えられないので、小さな標本なしでは博物館が成立しない。博物館はアミューズメントパークではない。博物館を訪れる子供たちの一部が未来の日本の科学者となるのだ。

恐竜ロボットの製作 恐竜ロボットの製作
写真1 恐竜ロボットの製作        写真2 恐竜ロボットの製作

できあがったロボット ボランティア活動  
写真3 できあがったロボット         写真4 ボランティア活動  
静岡と博物館

 では博物館の展示を作っていくときの重要な手順はなにかといえば、それはテーマの設定であろう。とくに地方博物館ではその地域の特性の解説が最重要課題の一つといってよい。ただ、普遍的なものを展示・解説しておかないと「珍しいもの」がなぜ特徴的なのか分からなくなってしまう。

 例えば、滋賀県の琵琶湖博物館がその名前に示しているように、「琵琶湖」というメインのテーマが明確に設定できる場合には、博物館のメインテーマ・それから導き出されるメインのストーリーの設定は比較的に簡単であろう。もちろんここで「簡単である」と言っているのは、「メインの」とか「設定は」とかの条件付きであり、博物館の展示を作製するのが簡単であると言っているのではない。

 静岡県の場合も、(部外者としての無責任な立場で)深い駿河湾と高い富士山、そしてその両者が共通の地球規模の活動(プレートテクトニックス的な)で結びつけられ、そしてそれらが差し迫っているかもしれない地震活動と関連していることを考えるなら、メインテーマの設定は限られてくる。もちろん(繰り返すが)標本の収集や解説の作製が容易だと言っているのではない。

 ただ、子供たちが博物館の観客としての対象の大きな部分を占めることを考えると、恐竜やロボットなどのアミューズメント的なものが全くなくてよいとも言えない。子供たちがなぜあのように恐竜に興味を持つのかはよくわからないが、ひょっとしたら「絶滅」という過去の事象を人類の未来に投影しているのかもしれない。子供たちと同じく、自然史系の博物館は過去のことを述べているが、決して過去にのみ目を向けているのではない。

環境と博物館

 博物館では自然保護の観点から資料の収集を行うだろう。例えば天然記念物の保護やその標本の保全、ワシントン条約に係る瀕危生物の認識など、任務は多い。近年環境アセスメントの作業の一部を学芸員が行うこともある。本来アセスメントの結論が、その作業を行うものの利害に関係するべきではない。委託を受ける業者が厳しい結論を出すことは次の委託の受注に影響することも考えられよう。このような方法は根源的に正しくない。

 一方で、厳しい結論を導きだすために、恣意的にそれまで知られていなかった生物やその分布などを探しだすこともまた正しくない。その結論に利害関係のないポストの研究者が、長期間にわたる観察記録を元にして、アセスメントを行うのがいいに違いない。博物館の学芸員がそれにふさわしいかどうかは個別に異なるとしても、一つの選択肢となると考える。

 環境アセスメントが市民の支持を受けていない現在、何かの改革が必要であろうが、むしろ開発が計画される前にその場所の開発に対する適合性(むしろ不適合性)が周知のものであることの方がいいに決まっている。それを示す方法としては博物館の展示がもっともふさわしい。ただ、展示で「どこそこの自然が貴重である」とだけ述べるのではなく、その自然がどう変化してきているのか、そしてその延長として将来どんなことが起こりうるのか、についての記述が必要であろう。

 以上のいくつかの項で述べたことから導き出される重要な点は、次の一文にまとまられる。
   「自然史の博物館は未来について語ることができなければならない。」

おわりに

 ちょうど私の博物館が開館する直前にお話をする機会をいただいたことは、博物館の活動との係りを見直すための非常にありがたい機会となった。すでにでき上がっている博物館の建物も、現在製作中の展示も必ずしも理想的なものではないとの感があったが、その不完全な点がどのように不完全であるのか語れるようになったような気がする。これから編成していく機構、企画すべき活動や特別展にしても、一貫したフィロソフィー・長期間の展望をもって進めることの必要性が確かめられた。

 この文章は、必ずしも4月14日にお話した内容ではない。私の準備不足や物忘れのために話し忘れたことや十分に言葉を尽くせなかったことを補充してまともたものである。また、スライドの内容にはほとんど言及していないことをお断りしておきたい。講演の中で、またこの文章の中で貴県静岡県の置かれている状況については十分な知識の無いままでいろいろと言及したが、内容に誤りがあったり、ご迷惑をおかけすることが含まれていたかもしれない。それらについては、全て私に責任のあることである。

 最後になったが、静岡県立自然史博物館設立推進協議会の皆様には、この講演の機会を与えていただくとともに、その実施に当たって多くの便宜を図っていただいたこと、またつたない講演を熱心に最後まで聞いていただいたことを深く感謝する。一日もはやく静岡県の自然史博物館の建設が軌道に乗ることを祈る次第である。


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登録日:2001年6月04日