海外博物館めぐり 4 ハンコック自然史博物館 (The Hancock Museum) |
池谷 仙之 (静岡大学理学部)
発行:2002/03/10
![]() Hancock自然史博物館は町の中心部,Newcastle大学の隣のやや小高い丘の上に古めかしく小ぢんまりと建っている。世界の有名な博物館のイメージからすれば,その規模はちっぽけな地方の一博物館にすぎない。その設立は"The Natural History Society of Northumberland, Durham and Newcastle-upon- Tyne"が正式に発足した1829年に遡ることができる。しかし,それ以前にも同博物館の前身として,キャプテンJames Cook (1728-1779) の大西洋諸島の民族資料をはじめ,多くの自然史資料を収集する活発な博物館活動と自然史研究が18世紀の中頃から続けられていた。 Hancock博物館は1984年に開館しているが,Albany Hancock (1806-1873) とその弟John Hancock (1808 - 1890) の業績を記念して,1890年に現在に残る石造りの建物が建てられ,それ以来Hancock博物館と呼ばれるようになった。Albany Hancockは軟体動物,腕足類の研究で知られ,Darwinの蔓脚類の研究をも手伝ったことがある。またJohn Hancockは鳥類の研究家で,腕のよい剥製職人としても知られている。この兄弟は地元のNatural History Society(自然史協会)の最初からのメンバーであり,同会の育成に一生をささげた博物学者であった。 Hancock博物館はこの地方の自然史協会の活動の基盤となり,創立以来,Newcastle大学の援助を受けながら,定期的に欠けることなくTransactionsが出版され,また多くの研究業績が出版されている。これらの出版物中には,最初の100年間 (1929年まで) だけで,1目,1科,49属,218種の新しいタクサが提唱され、記載されている。これらの模式標本のすべてが今日まで大切に同館に保管されていることは言うまでもないことである。 同博物館が所有する重要な標本のうち,筆者が気にとめた生物と古生物関係のものをいくつか挙げると,イギリスの苔類 (Duncan Collection),石炭紀の植物 (Hutton Collection),イギリスのヒドロ虫類と軟体動物 (Alder Collection),裸鰓類と被嚢類 (A. Hancock Collection),甲殻類(Brady Collection),二畳紀の無脊椎動物 (Howse Collection),石炭紀の魚類と両生類 (Atthey Collection),ジュラ紀の魚類 (Dinning Collection),化石脊椎動物 (Kirkby Collection),イギリスの鳥類 (J. Hancock Collection) と大変な数になる。これ以外にも沢山の有名な標本を抱えている。そして今日でもこれらの標本を研究するために,内外から著名な学者が大勢同館を訪れている。その来訪者名簿にはここ2,3年の間だけでも,筆者が関係する人たちの名前が十数名も記帳されていた。 ![]() 筆者はBrady標本の検鏡のため、この博物館を1980年以来何度か訪ねている。昨年の1月にも、国際会議の打ち合わせでロンドンに滞在した折、東シナ海の介形虫をBradyのタイプ標本と比較するために、大英博とHancock 博に行く計画を立てた。ところが、LondonからNewcastleまでは汽車で半日がかりの距離のため、日程調整ができず、Newcastle行きを諦めざるを得なくなってしまった。 しかし、一番のお目当ての標本はNewcastleにある。そこで、事前に大英博のJ. Whitaker博士に「その標本をロンドンで見られないか」とe-mailで相談したところ、すぐに「承知した」との連絡を受けた。半信半疑で大英博に行ったところ、そこにはHancock博が所蔵するCytheridea impressa Brady, 1896のまぎれもないタイプ標本(香港産)が顕微鏡下にセットされていた。最近では、世界の主要な博物館で、このような標本に関する貸し借りのサービスが普通に行われるようになったのはうれしいことである。翻って、日本の博物館はどうであろうか? ここでは、筆者が初めてHancock博を訪ねた時のある感動の一端を紹介することにしよう。それは先に紹介したBradyのコレクションを調べているとき、その中に「横浜港」と「三崎海岸」で採取された2枚のファウナル・スライドを見つけたことである。前者のスライドには "Yokohama, Japan 1874, Ostracoda" と表記され、裏面には "Brought up on the anchor, θMr. Kivsoff, Glasgow" と記入され、また後者のそれには "Sea sand from the coast of Misaki at the entrance of the Bay of Tokyo - Japan - , Collected by M. Yokoyama" と裏書きされていた。これらの端正に書かれた黒インキの英文字は恐らくBradyのペンによるものであろう。 ![]() また、Bradyは世界中の博物学者から同類の標本を寄贈してもらっていたようである。三浦半島の三崎海岸の介形虫はどこの海岸の砂かは特定できないが、横山又次郎(1860-1942)が三崎付近の砂を送り、その砂から抽出されたものであることは確かである。横山又次郎は1882年に東京帝国大学理学部地質学科を卒業し、1886年にドイツへ留学し、 1889年に帰国、その年に同学科の古生物学の教授になっている。Bradyと横山又次郎との交友関係については知るよしもないが、恐らくBradyが請求して入手したか、横山又次郎が献上あるいは同定を依頼したものであろう。いずれにしても、このスライドには年号の記載がないので、それが何時のことかはわからないが、Challenger Report (1880) が出版された後のことと思われる。 当時の日本では全く研究されていなかった介形虫類を、しかも日本産の介形虫類をこの時代にBradyが検鏡して、どのような種類がいるか、すでに知っていたことは驚きである。その上、これらの標本は、まるで昨日作製したかのような新鮮さで保存されていた。100年前に神奈川県下の標本が英国に渡り、それがいまも大切に保管され、後続の研究を立派に支えているのである。 ![]() |