第6回総会記念講演要旨
自然史博物館の役割と在り方

発行:2000/06/01

中川 志郎
(日本動物愛護協会理事長・茨城県自然博物館館長)


中川志郎 講師 ただいま三宅さんからご紹介いただいた中川です。現在茨城で自然博物館の館長をしていますが、お声を掛けていただき喜んで馳せ参じました。先ほど伊藤二郎代表から、平成8年の4月14日、つまり5年前の今日、当館を見学されたと伺い奇しき因縁を感じています。また、静岡の推進協が発足して7年目とのことですが、たまたま当館も今年で7年目を迎え、この点でも奇しき因縁を感じます。私が静岡でお話することにした最大の理由は、茨城県の博物館ができるまでの長い道のりが、皆さんの運動とオーバーラップしているためです。

ミュージアムパーク「茨城自然博物館」の前史

 先ほど事務局に差し上げました「ミュージアムパーク茨城県自然博物館建設前夜の動き」は、当館設立5周年の記念誌で昨年3月に発行したものです。その表紙を飾る写真として、当館の前に広がる「菅生沼」の朝やけ風景を載せました。また、裏表紙には建設工事2年目の建設現場の夕景を載せ、建設までの30年に亘る長い前史をまとめました。博物館設立のために「推進の会」で活躍された多くの方々は既に亡くなられましたが、当館がオープンした時お出でいただいた関係者はほとんど70才以上の方がたで、80才を越えた方も二人おられました。その方々が感涙に咽んでおられたことが忘れられません。

 昨年の1月、その中の5名の方に「建設前夜を語る」座談会でお話を伺い、当時どんな想いで活動されていたのかがよく判りました。当初この活動の中心になったのは、高校の生物の先生たちでした。これに「菅生沼を守る会」、「希少植物を守るグループ」など、24団体が加わりました。これらのまとめ役が茨城大学の鈴木昌友教授(植物学)でした。鈴木教授は退官されて10年近くになりますが、当館の友の会(約5,000人)会長として、かくしゃくとして活動されています。

 毎年12月20日には友の会の「館長クリスマスレクチャー」(館長60分、学芸員3人、各10分)を行ない、そのあとセミナーハウスでクリスマスパーティをしています。そのフィナーレで会場の照明が消え、トナカイの面を付け鈴を鳴らしながら入場する小学生に続いて、サンタクロースが登場しクリスマスプレゼントを配るアトラクションがありますが、その主が日ごろ謹言実直な鈴木教授だったとは、三角帽子を脱ぎ、付けヒゲを取るまで判りませんでした。その姿を見て、先生の博物館にかける想いの深さを知りました。

 茨城県に自然博物館を創った理由の第一は、昭和30年代の大開発時代、「鹿島臨港開発」、「つくば開発」などで自然破壊が急速に進み、豊かであった茨城の動植物が失われることを憂慮したフィールド研究者(先生・学生)たちが、子供たちに何が大切かを教えるために、子どもたちととも自然資料の収集を精力的に進めた結果、それらを収める「蔵(クラ)」と調査・研究の場所が必要になったことにあります。集めた資料は高校の空き教室に仮置きしていましたが、これを大切に保存するとともに、調査・研究の成果を次の世代に残すためには「自然博物館がぜひとも必要」ということで、「博物館建設推進の会」が生れました。長い前史のなかで膨大な資料が集められましたが、保存環境が悪かったために多くの資料が劣化し、博物館のオープン時に展示できたのは約10%でした。このなかには既に絶滅したり絶滅寸前の貴重種が多数含まれていました。今はありふれた自然物でも、それを大切に保存し、正確にリサーチできるようにすることが重要ですが、日本の自然資料の収蔵・保存についての考え方はプアーだと思います。

ライデン大学附属博物館を訪ねて
 私は平成7年、当館が平成10年に行なった「シーボルト展」の事前交渉のため、オランダのライデン大学附属博物館を訪ねました。その時、「とりあえず何を見たいか?」と問われましたので、シーボルトが日本から運んだ「トキ・オオカミ・サンショウウオを見たい」と答えました。

 この博物館は当時まだ一般公開されていませんでしたが、鳥類部長のデッカー博士が出してくれたトキやオオカミの標本が、174年前のものなのに、日本でみるどの標本よりもキレイであったことに大変驚きました。標本にはシーボルトの自筆のラベルがキチンと貼られていました。どうしてこんなにキレイなのか?というと、保管専門官(コンサバトール)が毎日ていねいに毛ぼうきで埃を払い、ルーペで寄生虫その他のチェックをしているからです。液浸標本の場合は浸液濃度の測定を毎日欠かさず行なっています。このように170年以上に亘り、保存科学を学んだ専門官が毎日チェックしているからです。この博物館には7名の保管専門官がいるとのことですが、シーボルトが集めた日本の標本を完全に整理するためにはさらに10年の歳月が必要とのことでした。これはほんの一例ですが、諸外国の博物館では集められた「標本」が大切に扱われています。「標本を大切にする心」は「真の科学」のベースではないでしょうか?

 これに比べると、日本の博物館資料の保存状況はきわめてプアーです。NHKが放映した「クローズアップ現代」の中で、東京大学附属博物館の資料保存の実状をご覧になって愕然とされた方がおられると思いますが、約240万点といわれる収蔵標本のうち、整理されデータベース化されているものは3%にも満たないのです。しかもコンサバトールはおらず、資料の保存やデータベース化を教授自身が助手ひとりとともにやらざるを得ない状況です。
 これで文化国家といえるでしょうか?

 さらに恐るべきことは、担当教授の専門分野が異なると収集品が正当に評価されないまま倉庫に仕舞い込まれたり、場合によっては廃棄されてしまうことです。これでは、本当に大切なもの、価値あるものが後世に伝えられません。こうした状況の中で自然史博物館の役割や在り方を真剣に考えないといけないと思います。

講演風景自然史博物館の基本的な役割と在り方

 最近ITを活用したバーチャル博物館が話題を集めています。奈良県の魚のいないバーチャルアクアリウムや鳥取県の歴史博物館は、資料を持たないバーチャル博物館の典型です。こうした博物館があってもよいと思いますが、自然史博物館が存在する最大の理由は、動物・植物・岩石・化石などの自然資料がそこにあり、五感でそれを確かめることができることだと思います。自然資料を集め、分類・整理・保存するとともに、調査・研究の成果を万人に判りやすく伝えることは自然史博物館の基本的な役割だと思います。

 ライデン大学には約4,000万点、当館が姉妹提携しているロスの自然史博物館には約2,300万点の標本が収蔵されています。多ければ多いほど良いというわけではありませんが、自然資料を持たないで自然史を明かにすることはできないことを強調しておきたいと思います。

 こうした役割を持つ自然史博物館が今なぜ必要かという第一の理由は、自然環境の急速な変化や破壊が進む中で、自然資料のキチンとした保存・整理・研究ができるしっかりした「蔵」機能が欠かせないためです。第二の理由は、自然環境の変化や破壊が急速に進む中で、実物教育の場が今後ますます必要になると考えられるからです。最近の子供は概念記憶は得意ですが、実物を見せて「これは何?」と尋ねるその能力は半分以下に下がるといわれます。実物に即した教育をしていないからです。最近文部省は「自然にふれ、自然を体験した子どもほど社会適応力が大きい」という調査結果を発表しました。これを踏まえ、中央教育審議会の報告書は「生活体験・自然体験の強化」の必要性を指摘し、総合学習に取り入れたり、学校教育週5日制の枠外で実施しようとしています。

 新しい教育カリキュラムの中でも、自然体験や博物館体験が重視されていますが、全国にある約5,000の博物館の中で、自然系博物館は約5%しかありません。県立の自然史系博物館がようやく7つできましたが、これに大阪自然史博物館・北九州市立自然史博物館・東海大学自然史博物館・豊橋市立自然史博物館などを含めても、まだまだこうした校外学習の需要に応えるレベルには達していません。今生きている私たちが今しなければならないことは、刻々と失われ行く自然資料を失われない前に記録・保存し、これらの資料を学校教育や生涯学習に活かすことです。

 レイチェル・カーソンが "Sense of Wonder" と呼んだ「驚きの感覚」を体験できる場がなければ、学校教育5日制で生活にゆとりや自由をもたせても、あまり意味がありません。その意味で、皆さんが今進めておられる運動は実に今日的な運動であり、こうした運動が早急に実を結ぶことが日本の教育や文化にとって極めて重要だと思います。

 さきほど日本の博物館はプアーだといいましたが、最近「想い出の昭南博物館」(中公新書,昭和57年刊)を読んで感動したことがあります。シンガポール島が太平洋戦争当時、昭南島と呼ばれていたことをご存知の方は数少なくなりましたが、日本軍によるシンガポール陥落(昭和17年2月15日)によって、昭南博物館=ラッフェルズ博物館の膨大な収蔵品は戦火の中に消える運命でした。しかし、日本の生物学者6人の献身的な努力によって略奪の対象とされることなく保存・整理されたことを知りました。また、それらの一部は戦利品として昭和天皇に献上されましたが、「博物館資料は貴重なもの。もっとも適した場所に置くのがよい。」とのお言葉で、一品も欠けることなく昭南博物館に戻されたことなどが述べられていました。これを読んで、日本人は決して文化的にプアーなのではなく、文化的なものを子孫に残す政治の仕組みが未熟なのだと思いました。

 最近経営状態が悪い博物館をなくそうという動きがありますが、入場者の数だけで博物館を評価すべきではないと思います。博物館法には、「入場する対価を求めてはならない」と謳っています。「原則無料が博物館法の基本的精神」であり、経営効率より教育効果を重視したのだと思います。経営効率的に成りたたないから博物館をつくらないとするならば、日本の「文化の貧困」を表わす以外の何ものでもないと思います。経済危機の時期だからこそ、博物館のような教育・文化施設が日の目をみるべきではないかと思います。

 「蔵」機能、教育機能とともに、最近世界的に強調されている第三の機能は公共サービス機能です。アメリカの博物館協会の理事会が1991年に発表した画期的な政策文書 "EXCELLENCE & EQUITY"(卓越性と公平性)が述べているように、エクサレンス(卓越性=知的厳密性を守ること)を保ちながら、エクイティ(公平性=万人が理解できるように提供すること)を求めています。その中では、様々な資料や技術を用いて、正確な知識や技能を子どもや生徒、お年寄りにも判るように伝えることが学芸員の究極の役割とされています。その手法の最たるものが "Hands on" です。昔の博物館はすべて "Hands off" でしたが、現在の博物館の主流は"Please, hands on!"です。

 自然科学は五感の学問ですから、壊れることを前提として豊富な資料を準備し、実際に手に触れ、肌で感じ、匂いを嗅いで、その質感や温度・重さ・匂いなどを体感することが大切です。

 これに関連した当館の取組みの一例を紹介しておきます。いま、当館では「とぶ・跳ぶ・飛ぶ」展という企画展をやっていますが、エントランスを入った所にパネルを準備し、ハクチョウの羽の大切さを実感してもらうため、死んだ1羽のハクチョウの羽を1枚1枚抜きとってパネルに並べることを試みました。部屋一杯に広げられたその数は実に21,074枚に達しました。これこそまさにコトバ通りの展示(広げて示す)であり、子どもたちの "Sense of Wonder" を刺激したようです。

 私はこの展示で、学芸員にもう一つの宿題「ハクチョウの綿毛の軽さをどう表現するか?」を出しました。「女ごころの歌」のなかで「風の中の羽のように」と唄われている「羽」は「軽いもの」の代名詞ですが、これだけでは子どもたちは「綿毛の軽さ」を理解できません。しかし、「フ−と吹いたらシャボン玉のように空を舞う」ことを体験した子どもたちは「綿毛の軽さ」を理解できると学芸員たちは考えました。そこで、エントランスの両側に円柱を立て、下から風を送って「綿毛を浮かす展示」を行なうとともに、「自分が吐く息で綿毛を飛ばす」コーナーを準備し、「綿毛の軽さ」を実感してもらいました。
 こうした体験はバーチャルではできません。

 外国のことわざに、「5才までに刻まれたの記憶は石の上に刻まれた記憶、大人になってから刻まれた記憶は水の上に刻まれた記憶」というのがあります。子どものうちに、いかに豊かな記憶を刻み込んであげられるかが、私たちの大切な役割であり、博物館の重要な役割だと思います。

日本博物館協会の最近の動き

 日本の博物館にとってエポックメーキングなことがこれまでに3回ありました。その第一は昭和26年に「博物館法」ができ、「博物館は社会教育の施設」として明確に位置付けられたことであり、第二は昭和48年に「公立博物館の望ましい基準について」が決ったことであり、第三が平成9年に「社会変革に伴う社会教育施設の望ましい在り方について」(生涯教育審議会報告)が出されたことです。これを受けて文部省は日本博物館協会に「21世紀の博物館の望ましいあり方」の調査研究(平成10〜12年度)を委嘱しました。私はこの協会の副会長をしていますが、14名の委員(博物館長・美術館長・水族館長など)の座長としてこの調査研究を行ないました。その報告書「対話と連携」の博物館〜理解への対話・行動への連携(市民とともに創る新時代博物館)の要旨(抜粋)を参考までに紹介しておきます。

T 新しい博物館の考え方

1 21世紀にふさわしい "望ましい博物館"とは、「知識社会」における新しい市民需要に応えるため、「対話と連携」を運営の基礎に据え、市民とともに新しい価値を創造し、生涯学習活動の中核として機能する、新時代の博物館である。
2 「対話と連携」は、新時代の博物館に至る「パスポート」である。博物館内部の「対話と連携」は、個々の博物館の「博物館力」を高め、博物館相互の「対話と連携」は博物館全体としての「博物館力」を飛躍的に増大する。博物館外部(家庭・学校・地域・関係諸機関)との「対話と連携」は、博物館力の増強にとどまらず家庭、学校、地域の「教育力」を強力にパワーアップする。
3 「対話と連携」は次の諸原則にしたがって展開される。
 対話1 博物館は博物館活動の全行程を通して対話する。
     〜収集保管・調査研究から新展示・慰楽まで〜
 対話2 博物館は利用者、潜在利用者の全ての人々と対話する。
     〜面談からインターネットの双方向交流まで〜 
 対話3 博物館は年齢、性別、学歴、国籍の違い、障害の有無を超えて対話する。
     〜施設・情報を全てのひとに利用可能にする〜
 対話4 博物館は時間と空間を超えて対話する。
     〜博物館のIT革命を推進する〜
 連携1 博物館は規模別、館種別、設置者別、地域の相違を超えて連携する。
     〜相互理解が連携の道を拓く〜
 連携2 博物館は学校、大学、研究所等と連携する。
     〜博物館活動の科学的基盤を整備する〜
 連携3 博物館は家庭、行政、民間団体、企業等地域社会と連携する。
     〜市民参画が新しい地域文化を創造する〜
 連携4 博物館はアジア、太平洋地域及び世界の博物館・関係諸機関と連携する。
     〜地域連携から国際連携へ〜

U 新しい博物館への提言

1 基盤整備への取り組み(総論)
「地域社会」の多様な市民需要に対応し、生涯学習の中核として機能する新しい博物館は、「対話と連携」を運営の基礎に据え、課された主題に果敢に取り組み、更なる進展のために、博物館・設置者・行政・市民の協働による基盤整備を着実に推進する。市民需要の変容と増大への対応は、博物館活動の新しい展開を中軸にしつつ、これを支える知識社会の新しい枠組みを基盤として達成されるものだからである。

2 条件整備への取り組み(各論)
(1) 博物館資料についての提言     (6) 組織・運営への提言
(2) 調査・研究への提言        (7) 施設・設備への提言
(3) 展示・教育普及活動への提言    (8) 財政への提言
(4) 広報・情報活動への提言      (9) 博物館の評価への提言
(5) 人材・専門職員養成への提言

V 新しい博物館への挑戦と戦略

(1) 「対話と連携」推進委員会の設置
(2) 「日本博物館協会・博物館職業人行動基準」の策定
(3) イコム「博物館の日」への連動
 (編集委員会より:具体的内容は推進協通信の次号以降に連載する予定)

 この第三のエポックという重要な時期に静岡で「自然博推進協」第6回総会が開かれたことは非常にタイムリーだと思います。この機会を逃さず、「対話と連携」の博物館づくりと連動して、めざす博物館を設立していただきたいと願っています。

 残された時間は、スライドを使ってこれまでお話したことをフォローしたいと思います。
    (編集委員会より:スライドによるフォローは紙面の都合で割愛させていただきます)

 以上駆け足でしたが、@茨城県の自然博物館設立までの長いプロセス、A自然史博物館の必要性・役割・在り方、B日本博物館協会の最近の動きなどについてお話しさせていただきました。最後に皆さんの活動が一日も早く大団円を迎えられるよう切望し、私の話を締めくくりたいと思います。


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登録日:2001年6月05日