総会記念講演
スイスの川の近自然化
ーチューリッヒ州の川づくりをまなぶー(その1)

板井 髟F


最終更新日:2007年9月20日



  「近自然化」という言葉は、この総会に参加されている会員など一般の方にはなじまない言葉かと思います。まずこの言葉からご説明したいと思います。

 私が静岡の大学へ着任したのは1973年のことですから、もう33年も前のことになります。静岡にまいりましてすぐ安倍川の魚類調査に取りかかりました。建設省の都市環境整備事業の対象河川のひとつに安倍川が選ばれ、高水敷を公園とする計画がもちあがり、安倍川の生態調査のために、静岡大学の上野実朗先生をリーダーとした調査班が結成されました。魚類・底生動物を私どもが担当し3か年にわたり調査を行いました。安倍川の中・下流域ではアユが最も重要と位置づけられ、その生息密度の推定も行いましたが、これには川水の透明度が必須で、藁科川の清沢を調査地に選びました。この調査地も年々透明度が悪くなっていきました。藁科川の河川工事がちょうど盛んになったのと平行しています。河川工事と魚の生息環境とを結びつけて考えるようになったのもこの頃からです。

 安倍川の調査からつぎに大井川、狩野川の調査へと移り、やがて環境庁や静岡県の河川調査も担当することになりました。それらの成果は小著「静岡県の淡水魚類」としてまとめられましたが、この本の後半を読み直してみますと、すでに河川に生息する魚はさまざまな環境要因の悪化により減少していることがはっきりと指摘されています。この後金川直幸氏ら静岡淡水魚研究会員の協力を得て、およそ10年おきに総合的な魚類の生息調査を行い、その最新版の一部が「まもりたい静岡県の野生生物・動物編」としてまとめられています。静岡県版レッドデータブックです。

 静岡県のレッドデータブックでは、県産の魚166種のうち、評価対象とした106種のうちの16種が絶滅の恐れがあると判定され、これは対象魚種の16%にあたります。国のレッドデータブックでは272種のうち76種が絶滅危惧種で28%にもなりますから、静岡県ではこれに比べればいくらかましということになります。

 静岡県のレッドデータブックに記された絶滅危惧の原因と推定される要因は、水質汚濁、河川横断工作物の設置や河川改修などによる生息場所の破壊といった川(や池)の荒廃のほか、外来種の移入によるものもあります。もちろん、川や池がこんなにも荒廃した理由はこれらが身近な自然として存在し、埋め立てや改修が都市から都市近郊へさらには農村へと広がっていったからにほかなりません。こうして淡水魚の生息場所の荒廃は日本全国に広がり、そこに生息する魚の多くが絶滅の危機にさらされるようになってしまったのです。

 この荒廃した川の環境の回復のひとつの手段として登場してきたのが「多自然型川づくり」です。この川づくりは建設省の河川局長の通達により1990年から全国一斉に取り組まれようになりました。この手本となったのが、スイスのチューリッヒ州の技師クリステアン・ゲルディー氏らによって取り組まれたNaturnaher Wasserbauなのです。これが日本の福留侑文氏やスイスの山脇正俊氏らによって「近自然河川工法」と訳されて日本に紹介され、「多自然型川づくり」の原型となりました。この近自然的な工法は河川にとどまらず、やがて道路や街づくりへも広がりを見せるようになり、山脇はこういった行為を「近自然化」とよぶようになったのです(山脇, 2000, 2004)。



 静岡県では、河川整備が上流から下流、多くの支流まで進められている静岡市の巴川の支流浅畑川においていちはやくこの川づくりが取り組まれました。静岡土木事務所の富野章さんの設計で、1992年に着手、1994年に竣工しました。実際の川づくりの長さは計画の半分ほどで終わりましたが、スイスやドイツの近自然河川工法の趣旨をよく酌んで、蛇行を取り入れ、最小限の人為的介入にとどめ、あとは川が自ずから川をつくる力に任せる方法がとられました。当時の先行的な多自然型川づくりの例としては、横浜市のいたち川や山口市の一の坂川などがありましたが、多自然とは名ばかりで自然の保全や復元にあまり寄与していないと見なされるものがほとんどでした。

 浅畑川の取り組みは明らかに他の事例と異なっているように見え、板井は工事の施工途中からこの川の川づくり区間における自然再生過程について底生動物や魚類などの小動物を指標として追跡する調査に取り組みました。この調査は約10年継続的に取り組み、その後いくらか間を置きながら現在もなお続けています。その結果だけをいえば、自然環境の復元は不十分なものでした。当初数年は環境の多様化とともに小動物は多様度や繁栄度は上昇していったのですが、途中でスズメノヒエ類の妨害植生の繁茂により逆に低下し、そのまま停滞してしまうようになったのです。この事業のどこが問題だったのか、本もとのスイスやドイツではどうなのかが気になりました。
 
 2001年に杉山恵一さんを団長とする自然環境復元協会の調査団がスイス・ドイツの河川や湖沼の自然環境復元の海外研修が企画され、私はこれに参加しました。この研修では川づくりから道路造りまで、スイスやドイツの自然と人の暮らしの調和を目指す近自然化に関して目を見張る思いをいたしましたが、一方では不満がずいぶん残りました。その不満を改修するべく、昨年(2005年)改めてスイス・チューリッヒ州を訪れました。 

          (以下次号)


自然史しずおか第13号の目次

自然史しずおかのindexにもどる

Homeにもどる

登録日:2007年9月20日


NPO 静岡県自然史博物館ネットワーク
spmnh.jp
Network for Shizuoka Prefecture Museum of Natural History