静岡県の哺乳類(3)
ミズラモグラ

三宅 隆

最終更新日:2007年9月20日



 ミズラモグラは、幻のモグラである。何しろ、このモグラの存在は1880年頃から知られてはいたが、当初はアズマモグラの「変わり」と考えられており、昭和15年発行の原色日本哺乳類図説には本種の記載はない。その後形態の違いなどから、これが別種と確認されたのである。別種になって以降も捕獲例は少なく、現在でも国内で確認された地域は少ない。そして、その習性や行動は、今も謎に包まれたままである。

 「日本の哺乳類」(阿部 永監修東海大学出版会1994年発行)においても、その生態については「低山帯から高山帯までの森林に生息するが、生息数は多くない。昆虫類、ミミズ類、ジムカデ類、ヒル類などを捕食する」と、ほんのわずか記載されているだけである。

 県内での確認例も、鳥居春己著の「静岡県の哺乳類」では、南アルプスと富士山須走での記録が記載されているだけである。

 今回、静岡県のレッドデータブック作成にあたって、哺乳類部会としてこの種の確認に努めてきたが、捕獲はおろか情報も殆ど得られなかった。わずかに、調査開始以前の南アルプス光岳と、開始後は本川根町の寸又左岸林道での死体拾得例のみで、やはり幻のモグラであった。静岡県版レッドデータブックは2004年4月に出版され、ミズラモグラは静岡県カテゴリーとしては、要注目種(分布上注目種)とされた。

 レッドデータブック発刊後も、私は追加調査のため県内を飛び回っていたが、2004年7月4日、前日からの泊り込みでの富士山ニ合目林道のコウモリ調査を終え、早朝新五合目に向かう途中、富士山スカイラインの高鉢を過ぎたところで、道路上に黒い塊を見つけた。車を止めて見てみると、なんとミズラモグラの轢死体であった。私自身としては、始めて見つけたミズラモグラであった。そしてその日、新五合目からの帰途、殆ど同じ場所で、後続の吉倉さんの車が、道路を横断しているモグラを見つけ捕まえたのである。これがまたミズラモグラであった。幻のモグラを短時間に2頭も見つけたのである。

 生きているモグラを持ち帰り、それからモグラの飼育が始まった。昔、日本平動物園で獣医業務をやっていたころ、何回かモグラの飼育を試みたが、毎日、体重と同程度食べるという餌のミミズを十分量確保できず、短期間で全て死なせてしまった経験がある。しかし、ミズラモグラは体重も少ないし、なんとかなるだろう。死んだらすぐ標本にすればいいと気楽な気持ちで、飼い始めた。

 しかし飼うとなるとやはり大変だ。アクリル製の飼育箱に土をいれ、その土は毎週1回取り変える。でないと尿で臭くなるのである。土は湿り気のある物を使い、霧吹きで加湿してやる。土が乾燥していると、ミミズを食べるとき、両前足で持って食べるため、両手にミミズの体液が着き、爪先が汚れ、そこに土がくっつき丸く団子となり、土の中に潜っていけなくなるのである。それを取ってやると噛み付いてくることがあった。

 餌のミミズ採りも忙しかった。体長10cm前後のものを、1日20匹位は必要なのだが、はじめの頃は、短時間で結構たくさん取れたのが、日がたつにつれ同じ場所では採れなくなり、1週間分のミミズを確保するのがだんだん大変になってきた。そこで代用食としてミルワームを与えたが、食べることは食べるのだが、やはりミミズのほうが好きなようであった。

 また、少なくて済むように、大きいミミズを入れてみたが、口に入らない位大きいのは食べなかった。ミミズを食べるときは、両前足ではさんで、端からツルツルと流し込むように食べるのだが、全部は食べず必ず最後の所は残していた。

 飼うとやはり可愛く、尻尾をプルプリ振る仕草や、丸くなって眠る様子に見入ることもしばしばであった。しかし、11月に入り、動物園内でも、なかなかミミズが確保できなくなり、遠くまでミミズ採集に出かけなければならなくなってきた。そんな苦労を察してか、12月4日、残念ながら原因不明で急死してしまった。飼育期間は丁度5ヶ月であった。
この個体は、県内産の貴重な資料として、剥製標本や頭骨標本となり、私のコレクション箱に収まっている。内容物もDNA分析などに有効に使っていけたらと思っている。

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登録日:2007年9月20日


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