自然史博物館とその役割

柴 正博

最終更新日:2007年9月19日



 2001年度から2年間にわたり静岡県は自然学習・研究機能調査検討会を設け、自然学習研究と拠点施設のあり方とその県民ニーズ、自然系博物館の整備や運営について具体的に検討し、2002年10月に報告書が公表された。しかし、現在に至るも県ではこの報告書に示された自然系博物館の設置について何の動きもない。また、全国的には、博物館に指定管理者制度が導入され始め、日本学術会議は博物館の役割と機能が維持されないことを強く憂慮して、今年5月に「博物館の危機をのりこえるために」という緊急声明を公表した。これら私たちをとりまく現状に対して、私たちの目指す県立自然史博物館とその役割についての私の考えを、ここでもう一度明確に示しておきたい。

はじめに

 日本における博物館は「展示館」ないし「普及教育施設」として始まったために、博物館は一般に利用する側に主体のある教育「施設」ないし公共のレジャー(余暇活用)「施設」と思われがちである。そのため、多くの博物館では展示や教育行事が優先され、研究や資料収集および保存が省みられない場合も多い。また、博物館活動の主体を担うべき学芸員が充分に配置されていない場合も少なくない。さらに、学芸員がいてもその研究における専門性はほとんど認められず、展示物の制作とそのメンテナンスおよび教育活動が主な業務とされ、行政職として他の部署に異動させられる場合もある。

 最近では、博物館は行政からも「無駄な箱モノ」の象徴とさられ、地方自治体の財政難や市町村合併などにより経費と人員の削減、利用者数や収益率をもとにした博物館評価制度の導入、さらに指定管理者制度の導入などによって、博物館はその機能回復以前に存続の危機に直面している事態も多い。

 博物館の本来の機能には、教育施設やレジャー施設という側面だけでなく、それが地域の自然や文化を対象としたものならば、地域の自然環境や文化財の資料と情報を総合的に収集し保存する機能が基本にあり、その資料や情報を研究して公開する「研究センター」とういう重要な役割をもつ。

自然史博物館とは何か

 博物館法には、「博物館とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、民法(明治29年法律第89号)第34条の法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人が設置するもので第2章の規定による登録を受けたものをいう。」と、博物館を定義している。

 すなわち、博物館法では博物館を「資料を収集保管し、展示し、必要な普及教育・研究事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」として扱っている。またICOM(国際博物館会議)の定義やUNESCO勧告でも、博物館は収蔵・研究・展示を系統だって継続し、後世に伝える業務を遂行することが謳われている。

 博物館は教育機関の役割もあるが、博物館は教科書や図鑑にのっている既知の知識を単に教える場ではなく、来館者が実際の「もの」に接して体験しながら感動とともに興味をもち、それらについて調べながら学べる場を提供する機関である。そのためには、博物館側がその「もの」について常に研究し、博物館のメッセージとともにその成果を示す必要がある。また、博物館は「もの」の周りに人が集まるコミュニティーでもある。「もの」についての調査研究や収集・保存、教育普及についても博物館の学芸員だけでなく、そこに集まった人とともに活動を展開できる場である。

 大阪市立自然史博物館の館長だった千地万造氏は「自然史」を、「自然科学の一分野で、自然界の構成員である鉱物・岩石、植物・動物などの性状、類縁関係、成因、相互のかかわり合い、進化発展の過程など自然の体系とその歴史を明らかにするとともに、人間の生活や文化の自然環境から受ける影響を明らかにして、未来の人類社会のあり方に対してその分野で貢献しようとするものである。」と定義している。

 このことから、自然史博物館は自然の姿を明らかにしてその成因や自然の体系を歴史的に理解し、現在と未来の人類社会のあり方に対して貢献するための研究教育機関と定義することができる。人をとりまく現在の自然環境は、地球誕生の約46億年前から形成されているとはいえ、そのほとんどは今から約200万年前からの第四紀以降、いわゆる氷河時代の中で私たち人類の進化や社会形成も含めて形成されてきた。その意味で自然史博物館のテーマは、特に現在も含めた第四紀の自然環境の変遷、すなわちヒトと自然とのかかわりについて最も大きな力が注がれるべきである。

自然史博物館の役割

 現在、多くの人が地球の自然環境に大変関心をもっている。しかしその反面、学校教育の中では自然環境を把握するための基礎となる「地学」や「生物」の教科が軽視され、高校ではほとんどの生徒がその教科を履修できない。また、自然環境教育は、「ゴミを捨てない」などの道徳教育や省エネルギー教育と摩り替えられ、肝心の自然環境の実態や変化を理解し、その仕組みを探求し考察するという自然科学的な研究教育アプローチがほとんど含まれていない。

 自然現象や自然の変化はいろいろな原因が絡み合って起こる。そのため、その原因を知るには、その自然の成り立ちとそのメカニズムを明らかにしなければならない。現在は人工改変による自然環境の変化が著しく、地域の自然の状態をきちんと把握してそれぞれの地域での自然の成り立ちを明らかにするためには、地域の自然の状態を常にモニターする必要がある。

 最近では、種の多様性を守り野生生物の絶滅を防ぐために、全国的にも地域的にも生物の分布、特に絶滅危惧種のリストが掲載されたレッドデータブックが発行されている。静岡県でも県環境森林部自然保護室が企画し、静岡県自然環境調査委員会による調査によって2004年にレッドデータブックが出版された。この調査を行った委員会のメンバーのほとんどは県内の動植物の研究会や同好会の会員で、その多くは高齢で後継者が少ない。また、調査の際に同定のために採集した標本も保存する場所や組織がなく、野帳データなどの記録さえも保存されていない。このような調査では、証拠となる標本や具体的な資料情報は結果と当然一対の存在であり、追試再確認や将来同様の調査を実施する際に必要な資料である。

 静岡県には県立自然史博物館が無い。そのため、そうした活動の中心となる機関や標本などを保存する施設もない。もし、県立自然史博物館があれば、レッドデータブックに関する調査研究は博物館が中心となって実施し、標本や調査資料を系統的に整理・保管することができただろう。また、博物館の学芸員または研究者が中心となって地域の愛好家にとともに、後継者を育てながらチームを組み、市民参加の調査体制を計画的に構築していくことも可能だったかもしれない。地域の自然史博物館の役割を、私はその地域の自然の姿を記録し、その姿やおいたちとその自然環境の成り立ちのメカニズムについて、地域の人たちとともに調べて理解して、地域の将来の自然のあり方を検討することであると考える。

 地域の自然環境の上に人々の生活があり、自然環境の姿や仕組みについての理解なくして生活(政策判断)をすることは、自然環境と人の生活との間に多くの歪みや問題をもたらす。また、現在や過去の自然の実態を示すデータや標本は、その時々の自然環境を示す個別の証拠であり、人類が生きていくための自然環境についての基礎資料、すなわち人類の生存権を保証する証拠として、今後非常に重要な意味をもつことになる。

 県レベルの公的な研究機関の多くは、生活や産業に密着した応用的研究が主体で基礎研究はほとんど行われていない。それでは研究しても収益に繋がらない地域の自然環境の基礎研究は、どこでだれが行えるのだろうか。収益と密着する応用研究の一部は民間企業に任せ、私たちと子孫のための自然環境の基礎研究を行政はむしろ行うべき使命があるのではないだろうか。そして自然史博物館は、地域の自然研究教育に関するコミュニティーとして、その使命を果たすべき役割をもつと私は考える。


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登録日:2007年9月19日


NPO 静岡県自然史博物館ネットワーク
spmnh.jp
Network for Shizuoka Prefecture Museum of Natural History