静岡県の植物(2)

ヨコグラノキ


長島 昭

最終更新日:2004年5月19日



萩間小学校に植わっているヨコグラノキ
(平成15年10月12日)

 昭和40年、女神山採石場近くの後藤謙太郎さん宅で県天然記念物の枯れた指定木とその説明文を見たのがヨコグラノキとの最初の出会いであった。その後、相良高校の校舎の南側にヨコグラノキが植えられているのを見たことがある

 平成13年に再び後藤さん宅をたずねた時、謙太郎さんが植えたというヨコグラノキがお宅の庭と女神山の馬頭観音の前に何本かあることを知った。それらの苗はどのようにして作られたのか分からなかった。この時、ヨコグラノキの実から苗を作り、その苗を女神山に植えれば、この木を絶滅から救えるかもしれないと思った。

 その後、平成14年5月26日に荻間小学校で花の咲くヨコグラノキを見た。そして、7月27日には後藤さん宅で果実の色付くのを見た。また、8月5日には荻間小学校で落果が見られたので、女神山の山頂で果実を拾い集めた。福田氏と分けあってそれぞれの方法で発芽に挑戦することにした。

女神山のヨコグラノキ

 昭和29年、藤江謙二さんは標高111mの女神山(地元では帝釈山と呼んでいる)の山頂で珍木を発見し、県天然記念物調査員の杉本順一さんに鑑定を依頼したところ、ヨコグラノキであり、「天然記念物に指定したらよい」と言われた。その後、藤江さんは牧野富太郎博士から、四国の横倉山で発見したので『ヨコグラノキ』と命名したことや、どうやら山頂を好んで生育していることなどを伺ったとのことである。

 女神山石灰石の採掘は慶長年間から行われていたが、戦後になって盛んになり、採掘が進むにつれて山はしだいに削られ、山頂も狭くなり、水脈も変わってしまった。ヨコグラノキは山頂に7本生えており、それらは30〜50cm位の直径であったという。しかし、次第に育ちが悪くなり、枯れるものも出はじめた。

 昭和38年12月27日、ヨコグラノキが天然記念物に指定された時には3本(高さ10〜13m、目通り樹周42〜64cm)になってしまい、昭和53年3月の調査時には枯死寸前であったという。現在、山頂にある3本は昭和58年4月10日に地元のヨコグラ会の会員によって、故後藤謙太郎さんが育てた苗を植えたものである。

ヨコグラノキの栽培法

 ナンテンやマンリョウは小鳥がそれらの果実を食べ、落とした糞から発芽して育つ。ヨコグラノキの果実も鳥に食べられ、胃袋で果肉をはがされ、堅い種皮は砂のうで傷つけられ、腸を通って排出される。そして、種子は地面に落ちて発芽するであろうと考え、次のような方法で長島と福田は栽培を試みた。

 長島方式:1)果実とほぼ同量の川砂をガラスびんにいれ、水を加えて竹棒で100回ほどこね回す。2)種子を取り出して、水に入れ、沈んだ種子だけを取り出す。3)種子は女神山の土を入れた鉢に蒔いた(平成15年8月8日)。その後、4)野外で越冬させ、鉢には女神山の石灰岩片を置いた。5)翌年3月21日に発芽し始めたので、油かすを少々入れて育てた(写真1:5月17日撮影)。6月26日に高さ10〜14cm、7月31日に高さ約15〜35cm、8月31日には高さ30〜54cmに育った(写真2:6月26日撮影)。

 福田方式:1)果実を10月まで部屋(常温)の中で保存し、10月から12月中旬までは冷蔵庫(約10℃)に入れた。2)12月20日頃に「鹿沼土」(酸性)に蒔き、部屋の中で育て、30〜35℃の温水を毎日かけた。3)翌年1月15日に3個、23日に1個、2月2日に1個が発芽した(写真3:2月10日撮影)。4)日中は室内で太陽光を当てて育て、2月18日には高さ3〜4cm、茎の太さ0.3〜0.5mmとなった。5)5月7日には6cmになったので西日の当たらない野外に出した。6)10月初めには高さ50cmにまで成育した。

写真1 写真2 写真3

今後の計画として

 落葉樹の挿し木の時期は落葉後から2月までであるので、落葉直後に採穂して、地中に埋めて保存し、2~3月ごろ女神山の土や鹿沼土に挿す。また、2月ごろ採穂して、同じく女神山の土や鹿沼土に挿す等、挿し木による苗作りを考えている。

萩間小学校のヨコグラノキの説明板

 「石灰岩地に育つ木で、葉が交互に2枚ずつ付くのが特徴。植物学者の牧野富太郎博士が郷里高知県の横倉山で発見し、命名したもの。少数の珍木で、県内では伊豆天城山だけ。全国でも神奈川県丹沢山と茨城県などで確認されているにすぎない。昭和28年ごろ、女神の帝釈山上で藤江謙二校長が見出し、同38年12月28日に県文化財に指定される。この荻間小学校のヨコグラノキは昭和42年ころPTAによって移植され、3本中1本は花も咲く実も成る(帝釈山の指定木は枯死)」とある。この説明文には2・3の間違いがあるので、建てかえる時には次のように訂正するとよい。さらに説明板を立てた年月日や設置者も記述した方がよいと思われる。

 「藤江謙二校長」は「当時相良小学校教員藤井謙二氏」に、「昭和42年ころPTAによって移植され、」は「昭和47年、当時の教頭、渡辺鋭一郎先生の発案により、女神の後藤謙太郎氏より苗をいただき、PTAの協力を得て帝釈山から移植した」に、また「3本中1本は花も咲く実も成る」は「平成15年は3本とも花をつけ実も成った」にする。



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登録日:2004年5月19日

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